パソコン整理したら昨年の父Akihikoの映像など出
父が病気になった時、正直、私はやはり、
そう思って、手術後にようやく歩けるようになった
父はaction!環境、そして、Tamikoが大好きでした。Tamikoは一心に私たちCruiserの幸せを考えてくれて応援してくださいました。その愛とすごさが信じられない不幸中の幸いをおこしていきました。
父は一度も自分の事を病気だと言いませんでした。いつも元気いっぱい、訓練では大はしゃぎで、あんなにもうどんつくりを熱く語れたことは父にとってどれだけ大きかったことかしれません。action!に出会っていなければ、長くうどん職人をしているけれど、それに耳を傾けてくれる人々には人生で一度も出会えてなかったはずです。私は父の事を治すことで当時は精一杯でしたが、今となればそれはそれは幸せな楽しい時間でした。
親ががんになり、なのに、その日々がずっと楽しいものとして存在し続けていたなんて。action!に出会う前の私であれば、そのニュースを聞いただけで、ノイローゼで自殺していたかもしれない。それくらい私は病気というものに恐怖を持つ、心の弱い人間だったからです。action!教育で鍛えられたおかげで自分がいかに強くなってきたのかにも改めて気づかされます。
がん患者であるのに、生きる希望や挑戦に燃えていった父、お酒も楽しく飲み続け、東京と鎌倉を電車で一人で乗りまわり、四国の田舎で70年間過ごしてきた人間がやれることではないです。
父はCruise!を何度かリピートし学んだことを実践しました。なんと、手術前に閉業した田舎のうどん屋さんを復活させました。Cruiser仲間から贈られたオープン祝福メールを大きな額に入れて店内に飾りました。
ついにはSuper 訓練まで受けた父はいつも一緒に家に帰ると、私の主人であるCruiser Nyに満足そうに、「宿題があるんだよ~♪」「よかった~~で!」などと言っていました。そして入院先の病院では周りの患者、ヘルパーさん、ナースさんたちに「元気?~」「具合悪いの~?」等とパワーを与え続けました。
本当にすごい訓練効果で、父は4回も手術をしたのにもかかわらず、ずーっとずーっと痛みがゼロだったのです。本当に今でも信じられないことがおき続けていきました。父はがんであったのに、ずっと日々の暮らしを楽しみ続けたのです。
うどんを作ることにこだわりました。また、東京暮らしを楽しみ、私と東京でお店を出す活動もしまして二人で都内の店舗を見に行きました。
私は父に新築を買ってあげたかった夢も鎌倉で実現できました。「花をたくさん見せてくれた」と父は言ってくれました。
普通ならストレスでノイローゼになっていく状況をひっくり返し、父と私は夢に燃えて、さらに何倍も仲良しとなり、いつも一緒にいられる、幸せで刺激あふれる3年半をすごしました。なくなる3ヶ月前までうどん屋さんを経営しました。
本当にすごい教育に出会っていたからこそのことばかりです。
Tamiko, action!、改めて、ずっとひたすらに応援してくださりありがとうございます。
また私達親子に激励をくれた仲間に感謝いたします!仲間を増やし続けている仲間に深く感謝いたします。私にaction!を紹介してくれたYoko S.に感謝します。
私も多くの人々にもっとaction!教育の存在をしらせなくちゃ!
大切な行動をします!
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